津波からの非難
就寝する時、買物してる時、
電車に乗っている時、
飲食店に入った時。

今、地震が起きたらどうするかをシミュレーションしている自分に気づきます。

狭い階段、エスカレーターにぎっしり詰まった人の列。
飲食店の一番奥の席。
逃げらない…と不安になります。

今日は、前回の続きの地震直後、家を出てからです。



アパートの駐車場に行くと、子供さんをかばいながらお母さん達が同じように家から出て来ている。

その間も余震は続く。

家にいたのは、まだ就学前の小さな子供達。地震直後は、幼稚園と小学生の子供達が帰宅する時間。

お母さん達が手分けして、幼稚園と小学生達を迎えに行く。

小さな子供達は、ご主人が使用せず自宅に置いていた方の車、唯一2台の中に非難させておく。車は念のため、建物や電信柱から離れた場所に移動。

幼稚園、小学生達も無事に帰宅。

地震直後から停電し、まもなく携帯が繋がらなくなり、地震の情報を得たくても手段がない。

非難をどうするか、お母さん達と話し合っている最中、車のテレビから、大津波警報が出ていると知る。

テレビからの情報は地域が広すぎて自分達がいる場所の情報がわからない。

津波はどこまでくる?
どのくらいの高さ?
どこが安全?何もわからない。

車で10分ほどの近所の高台に逃げるか…車は2台しかない。その場にお母さん達が10人ほど、子供も10人以上いる。

しかも、高台に登る道は狭い。渋滞したら津波から逃げ場はない。

アパートの4階に残っていたお宅の方が、「早くみんなでうちに非難してきて!」と上から声をかけてくれる。職場の旦那さんと携帯で連絡がとれ、津波が来ると言われたと。

「このアパートは地震に耐えられるのか」と怖がって、4階に上がるのをためらう人も少なくない。

考える時間はあまりない。子供達を安全に非難させる方法、場所はどこか。自分達で判断しなくては。

最短で逃げられる1番高い場所はやっぱりアパートの4階だ。

アパートの外壁、階段の周り、見える範囲で建物に亀裂や損傷がないか目視確認をして、問題がなければ4階に非難させて貰おうと決める。

問題なし。子供達を急いで非難させる。建物に入ると同時に、外は突然の吹雪。

4階の踊り場の窓から見える範囲は限られてるが、見える限り海の方角をみる。建物が動いたら、近くまで津波が来ているとわかるはずだ。

吹雪で寒いが、いつまた大きな地震がくるとも限らない。玄関から部屋までドアは開けたまま、しばらく海の方角を確認し続けた。

おそらく地震発生後、30分~1時間のことだと思う。

数時間後、非難したお宅で落ち着いてからは、ラジオから情報を得ていたが、

地震直後、停電した中で、津波情報を得た手段は、唯一携帯で連絡が取れた奥さんが旦那さんから聞いた情報と、車のテレビから流れる津波警報だった。

ただ「津波がくる」と。




(2011年3月11日  津波からの非難…終わり)

地震の瞬間
東日本大地震の後、
翌日自宅に戻ってから、
起こったことを書き残していました。

そのメモを見ながら、
地震の日以降の出来事を振り返ります。

2011年3月11日  14時46分

私は宮城県岩沼市の自宅アパートの3階にいて、主人は仙台空港近くの職場に勤務中。

私は出かける準備をしながら、ストーブを消し、リビングのドアノブを握った瞬間。

最初小さな揺れ。
地震だと思い、ジッと身構える。

地震はだんだん大きく左右に振れ始める。

キャスターの付いたテレビ台とリビングテーブルが揺れで自分の方に迫って来る。

中腰になり、テレビ台とリビングテーブルを抑えつつ、立つバランスをとる。

まだまだ揺れは続く。
台所の様子は見えないが、物がガチャガチャと落ちる音がする。

部屋の窓は、全て閉めていたが、鍵をかけていなかったため、全ての窓が揺れで全開になり、冷たい風が部屋に吹きこんでくる。

この時は恐怖を感じる暇がない。ただ「大きな地震が来た。」わかるのはそれだけ。

揺れに耐えながら、揺れがおさまった後の行動を頭の中で確認する。

ガス、ストーブは消した。

今必要な所持品は何か。
持って出るものは、携帯、財布の入った小さなバック。外は寒い、上着とマフラー。

場所を頭の中で確認。
携帯は目の前。
財布の入ったバックは隣の部屋。上着とマフラーも隣の部屋のラック。

全て持って、玄関脇に掛けてある家の鍵をとり、外に出て鍵をかける。

一瞬の出来事だけど、すぐに行動できるよう、頭の中でイメージを繰り返し確認。

揺れが長い。
中腰で踏ん張るのがやっと。
どこまで大きくなるのか。

揺れが止まった。

部屋の状態を確認する余裕はない。イメージした通りに荷物を掻き集め、鍵をかけ、一階まで急いで階段を駆け下りる。

ここまで地震発生から、たぶん10分かかっていない出来事。

この地震の2日前に震度5の地震が起こっていた。

宮城に引越してから、宮城沖地震への警告を日頃から聞いていた。

震度5の地震後、次は大きな地震が来るかもしれない、できれば来ないようにとなんとなく心の準備ができていたので、思いのほか冷静に対処できた。

東日本大地震が最初に来た地震だったなら、パニックだったかもしれないと後で思った。





(2011年3月11日  地震の瞬間  ……終)


前を向いて
札幌に来てから日常生活は送れるものの

精神的には蹲り下を向いてばかり

けれどようやく前を向いていこうと思えるようになってきました

地震以来頭から離れない言葉があります

「明けない夜はない」

踏み出す一歩として、恐怖心を克服し、強い気持ちを持つために

地震以来私に起こった出来事を

少しずつブログに綴っていこうと思います

まだ誰かの力になれるほど強くない今の私にできる一歩

がんばるぞ。

被災地の方に一緒に頑張ろうと言える私になるために

札幌で生活スタート
ご無沙汰してます。
地震の時は、私の安否を心配する声をたくさんもらって、有難かったです。

地震直後は、停電で連絡の手段がなく、全員に返事が出来なかったけど、みんなからのメールは私にちゃんと届いてます。

地震後、しばらく福岡に戻っていましたが、元々4月から札幌に転勤が決まっていたので、3月末に岩沼に戻って、引越しトラックの手配ができるのを待って、4月9日に札幌へ無事に転勤してきました。

幸いなことに私は、車を津波で失っただけで、主人も元気で、住んでいた家も無事だったので、他の被災した方々に比べたら、被害と言えない程度です。

札幌での生活で少しは落ち着けると思いますが、まだまだ地震の恐怖や緊張感、不安定な気持ち、突然動悸がしたり、やる気が起きなかったり…という状況です。

札幌の自宅の電話がまだしばらく使えず、ネットが使えないので、これも携帯使ってます。

現在も辛い状況にある被災地の様子をみると、自分も何かしなきゃ、頑張らなきゃと焦る気持ちもあるけれど、まずはゆっくりして、気持ちを落ち着けようと思っています。

被害が少かった私でさえ、地震、津波への恐怖、原発への不安、ライフラインが滞る不自由さ、普通の生活ができないストレスは、24時間続いていました。被害が大きな地では映像で見ることはできても、いかほどの辛さか想像すらできません。

色々温かい励ましの中でも、自分では毎日の生活に必死で気づいていなかったストレスの中で、
「頑張りすぎず、気持ちを緩めて」という言葉が有難かったです。
ただ、私も地震直後から現在に至るまで、気持ちの変化は様々で、
入ってくる情報や、言われる言葉を受け入れられる時と、受け入れられない時がありました。
状況や人それぞれで、気持ちの回復速度が異なると思います。

みんなの温かい気持ちは本当にありがたく、一方通行の連絡で申し訳ないのですが、元気な私になるのを、もうしばらく見守って下さい。

  

photo by hemitonium.
Template by ICENE

Powered by FC2ブログ