樹齢100年の杉
今朝のニュースで和歌山県の某神社の樹齢160年の杉が
意図的に傷つけられ、枯れ始めていると言っていた。
その木を見たとき、「なんとむごいことを・・・」と
思わず思った。

私がお遍路を始めてから、お寺には必ずといっていいほど
樹齢数百年という大木(たいぼく)達を目にするようになった。
ずっと長い間、お寺を見守り続けてきたその大木達は
それはそれは立派で、ついつい木の前に立ち、しばし見とれて
しまうほどである。そして、時にはhugのように抱きついて
しまいたくなる木もある。実際に、手を大きく広げ、
抱きついたことも何度かあるが。(笑)
そんな木々は、とても穏やかで、触れるとなんとなく温かい
という気がするので不思議である。

そんな堂々とした木々を見始めて、そして山歩きをするように
なると、木は本当に生きているんだなぁと思うようになった。
とぼけたような話だが、本当にそう思える。
山を見るときも、以前はそこにある単なる風景だったのが、
今は、山も、森も、それを形成している生きた木々の集まりだ
という風に見えてくる。そしてその存在感にドキドキするのだ。

それ以来、街中でも「おや、木がこんもりしてる場所があるな」
と思うと、だいたい神社かお寺があることに気付いた。
立派な木があると思わず見とれる。街中でも神社やお寺は
木々によってずっと守られているんだなと思う。

以前NHKのプロフェッショナルという番組で、ある女性の
樹木医がゲストだった時があった。彼女は、まさに
木のお医者さんで、木を人間と全く同じような視点で見ていた。
彼女が手がけた大きな藤の木がテレビで紹介されたが、
その藤の木が花を咲かせた様子は、テレビを通してでも
その藤の持つ力強さ、なんともいえない生命力、まさに
生きている雰囲気が伝わってきて感動した。

そんな訳で、木が生きていると思っている今の私には
今朝のニュースは、殺人事件と同じような感覚で受け止めた。
どのような思いでその木に悪意を持ったかは、犯人の真意を
知る芳もないが、その木は自分が傷つけられる間、
ただ黙ってそこに立って、じっと犯人の悪意を受け入れて
いたと思うと、木の寛容さと人間の傲慢さが切なくなった。
木は物体じゃなく、生き物なのになぁ・・・。


  
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