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3・11の夜 その1
お久しぶりです。
先日は久しぶりに古巣の道南へ出向き、
これまた久しぶりにキャンプを楽しんできました。
大好きな駒ケ岳のふもとで一夜を明かし、
翌日は羊蹄山を見ながら温泉に入って札幌へ戻ってきました。

どこを見ても、緑は青々とし、空は青く、風は心地よく、
生きている実感を得た次第です。

さて、ブログを書こうと内容を考え始めると、
未だ遅々として進まない原発問題、放射能汚染への進まない対応、
食品への不信感、被災地の厳しい現状と悔しく思うことばかりで
感情ばかりが高ぶり、書きたいことがまとまらず数ヶ月経過....

初心に戻って、地震の体験をそのまま綴ろうとやっと重い腰をあげました。

以前の記事には拍手やコメントを頂戴しありがとうございました。
また頑張ります!

今日は、前回の続き、地震発生後夕方からその夜のことです。


********************************

(地震発生後 1時間ほど経過)

しばらく津波がこないかどうか、階段の踊り場で確認しているうちに、
まもなく夕暮れがやってくることに気付いた。

電気は停電している。日没までにできる準備はしておかなければと思い、
各自家に戻り、準備をすることにした。

地震後、初めて自宅に戻るので、まずはブレーカーを落とす。
停電後はブレーカーを落とさないと通電した際に火災が起きると聞いたことがあったからだ。

余震は続いているので、玄関は開けっ放しにして、いつでも逃げられるようにしておく。

いつまた大きな地震がくるかもわからないので、
今しなければならないことを優先順位をつけて考える。

部屋を片付けている暇はない。まずは、すべての部屋で全開になっている窓を閉めてまわる。
(地震の際、揺れで閉めていた窓がすべて開いてしまった。)

次に、食糧、水。
最低限すぐに必要なものはリュックに詰めなおして背負うことにした。

食糧はとりあえずカロリーメイトが目についた。
携帯電話の充電器
ヘッドライト(アウトドアで利用していたもの)
ポケットティッシュ
タオルハンカチ
軍手

最初に持ち出した貴重品もリュックに詰めなおし、
リュックを背負ったまま、いつでも逃げれるように上着も着たまま準備を進める。

偶然にも最近浄水器が故障し、2Lのペットボトルの水まとめて購入していた。
段ボールのまま玄関に移動し、いつでも取り出せるようにしておく。
沸かしたお茶が保温ポットに入っていたので、すべて保温水筒に詰めなおし
リュックのサイドポケットに入れる。

今後部屋に戻れない事態も考え、とにかく必要なものは玄関周りに出しておこう。
ボックスティッシュ、トイレットペーパー。

それにもし夫が戻ってきたら(その時はすぐに帰ってくると思っていた)、
車で寝泊まりすることになるかもしれないと
寝袋、カセットコンロとボンベ、アウトドア用のガスボンベ、アウトドア用の食器類、
毛布、旅行用のお風呂セットも必要になるかもしれない、ちゃくちゃくと準備を進める。

途中余震が来るたびに、玄関外に急いで飛び出す、ということを繰り返しつつ、
部屋や押し入れから荷物を運び出し、玄関周りに荷物を集めた。

その数時間後、車は津波に流されたと聞き、この準備は結果的にはあまり意味がなかった。

もうかなり薄暗くなってきた。まもなく日暮れがやってくる。
なんとか真っ暗になる前に準備ができて良かった。

相変わらず携帯はつながらない。

真っ暗になって、玄関を開け放したまましばらく玄関に座り込んでいると、
上層階に避難していた方が、「一緒に上の家にいよう」と声を掛けてくれた。

うちには子供がいないので、普段近所づきあいをしておらず、
面識があまりない私がお邪魔するのも悪いかな....と遠慮していた部分もあったが、
「早く声をかけなくてごめんね」とかえって気遣ってくれて、本当にありがたかった。

余震が続いているので、玄関は開けたまま、家の中は暖房もなく外と同じ気温。寒い。
毛布を持ち寄ろうと、私も玄関先に出しておいた毛布類をあるだけ持ってくる。

災害袋を準備していた方も数人いて、手動の携帯発電機、ラジオ、
アウトドア用ランタン、パンや、お菓子など一晩過ごせるものは大体揃っていた。

私も何か食べた方がいいとパンを勧められたが、子供が10人ぐらいいたので、
大人の私がもらうくらいなら子供たちのためにとっておいた方がいいので、断る。
それに食糧がなくなったらカロリーメイトが2箱リュックにあるので、
少ないが、いざとなればみんなに分けることもできるかもしれない。

そのまえに興奮状態で食欲は全く感じない。

いったん、みんなが軽い食事を済ませ、落ち着いた。
ふと、あの家の人が見当たらない、あそこの家は大丈夫だろうかという声が出てきたので、
とりあえず確認に回ることにした。

夕方の雪もやんで、空には雲ひとつない。
皮肉なことに街中が真っ暗なので、空には満点の星空。
岩沼に来て以来、こんな星空をみたのは初めてだった。

ヘッドライトをつけて、気になる家を回り声をかけた。
家具などに下敷きになっていないか、しばらく玄関ドアの前で
声がしないかどうか確認してみたが、どうやら留守のようだった。
(後日、買い物していたスーパーで避難していたことがわかった)

外の駐車場には5~6台ほど車の中で避難している人たちがいた。

避難家に戻ると、みんな職場に残っている旦那さんと連絡を取ろうとしていた。
数人が連絡が取れ、家には誰が避難しているか、職場の旦那さん達の無事はどうかを
お互いにやり取りし、その場にいる奥さん子供と、職場の旦那さんの無事はほぼ確認できた。

職場の周りが津波に襲われ、水が引かないので翌日水が引いてから帰宅するとのこと。
私は充電が心配で、通常オフライン状態にして、時々確認していた。

ある一瞬、メールがどっと届き、夫からのメールが来た。
が、本当に一瞬ですぐに圏外。返信はできず、夫のメールもいつ送ったのかわからない。

メール:(奥さんと連絡が取れた人からRaRaの無事の確認ができました。車はすべて流されました)

とりあえず、夫は無事で、車は流されたのか.....ということがわかった。
その場にいたみんなにも、「車はみんな流されたみたいよ」と伝えると、

「夫がみんな無事でほっとしたけど、車が流されたと聞くとやっぱり惜しいね」とみんなで笑った。

こんな危機的な状況でも笑えることにほっとした。

子供たちは、不安に泣き叫んでいるかというと....そんなことは全くない!
こんな状況がかえってイベント気分を盛り上げるようで、ハイテンション。
お泊まり会気分で楽しそうだ。
そののほほんとした様子が大人たちのピリピリムードも和らげてくれる。

そうは言ってもたびたび余震が来ると、部屋の中央にあるテーブルの下に子供たちを集める。
子供たちも不安がないはずはない。けれど、いつもどおりにしてくれていることが本当に心強い。

停電、断水で問題になるのがトイレ。
偶然うちのアパートが上にタンクがあり、上から水をおろすタイプだったので、
一晩は、タンクに入っていた分の水を使うことができ、トイレを流すことができた。
むやみに流すと今後がどうなるかという心配がなかったこともないが、
家族だけなら我慢できるが、他人同士が共同でトイレを使うことになり、
いきなり断水にならなかったのは精神的に助かったと思う。
特に、子供たちは流してないトイレを使うのは、厳しかっただろうと思う。

ちなみに私はトイレを使うとき、自宅に戻り用を済ませ、節水のため流さずにいた。
少しでもタンクの水を残しておきたかったからだ。

10世帯ほどの子供、奥さん達が集まる中、特に心配だったのが、
地震があった前日がが出産予定日だという臨月の奥さん。
床に直接座り、部屋は寒く、毛布しか暖をとるものはない。
しかも出産経験者なので、産気づいたら出産までの時間はそれほどかからないかもしれない。

「いざとなったらここで産むからみんなよろしくね~」と笑いながら言えるところは
さすがだなぁと思ったが、とにかく心配でならない。

臨月の奥さんをどうするか.....ランタンの光だけですごす部屋で、考え始めた。


(2011年3月11日  3・11の夜 その1....終)



  
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