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3・12 食糧確保
地震発生の夜、ラジオから、仙台市内で数百体の遺体がある、
という情報が繰り返し流れていました。
テレビやネットでの情報収集ができず、唯一の手段はラジオでした。

津波による被害、という内容は流れていなかったので、
私はなぜそんなにたくさんの方が亡くなられたのかわかりませんでした。
地割れが起きたのか、建物が倒壊したのかと想像していたのです。
なにより津波がこれほどの大きな災害になるとは、全く想像できませんでした。

地元FM局があったので、多少は近辺の情報が入るものの、
その時に知りたい細かな情報を、知ることができない不便さを痛感しました。

被災地にいるがゆえに、被害の状況を理解することができたのは、
電気が復旧してからだったのです。しかし、テレビはついたものの、
ネットはしばらく使えず、私の携帯電話の電波も不安定で、
詳しい情報を知ることはできませんでした。

地震後、日々の生活に関わる情報収集は、個人個人の聞き伝えが一番頼りでした。
情報を共有するため、アパート1階の出入口扉に張り紙をして伝達されていました。

近所の避難所となっていた中学校で見た方法も、とてもわかりやすかったです。
避難所ということもあり見やすいように、大きな用紙を床に置き、
用紙を継ぎ足し継ぎ足し情報がかかれていました。

情報は時間の経過とともに刻々と変わるので、
記入する用紙は上から下に時系列に記入されていました。
書き込む情報には、情報を書き込んだ日時が書いてありました。 

もし、集合住宅で活用するならば、書いた人の名前も一緒に記入しておくと、
確認しやすく誤伝達が少なくなるかなと思いました。


(ー集合住宅などでの伝言 例ー)

本日9時から給水車が市役所に来るそうです。
容器は各自持参。                3/12 7:00 斎藤

アパートの外の蛇口が利用できます。
ただし、タンクにある水は限られているため、
節水に努めて下さい。              3/12 8:30 山崎


スーパー○○が明日10時から開店するそうです。
購入数制限ありとのこと。            3/12 9:50 原田


(↑内容はあくまでも私が考えた例です、実際のものとは異なります) 


もし何かの参考になれば。
なので、ご自宅の防災袋にはメモ帳と筆記用具も入れておくと何かと便利です。

今日は、地震発生の翌日のできごとです。



********************************

 (3月12日の朝 快晴)

不安な一夜を過ごし、翌朝は何事もなかったかのような快晴。
ひとまず、無事に朝を迎えられたことにほっとする。
みんなが目覚めたところで、持ち寄ったパンなどで軽い朝食をとる。

まずは、水と食料の確保。
情報収集も兼ねて、昨夜偵察した避難所になっている中学校に数人で行ってみることにした。

水は、近々給水車が来るらしいが、詳細がわからないらしい。
中学校には、非常用のビニール袋入り2Lの飲料水があるので、
1世帯1袋だけは配布可能ということで、数袋もらって帰ることにした。

(今日、明日の飲料水はこれでなんとかなるだろう)

食糧については、海沿いの地域の被災状況が大きく優先されるので、
内陸の私たちの近所は、配布はないので、自分たちで確保してくださいとのこと。

(私たちは、まだ津波の状況をしらなかった)


中学校の玄関ロビーには自家発電が動いており、延長コードをつないで
多くの人が携帯電話を充電していた。私もリュックに充電器を入れていたので、
充電してから戻ると言い、他の方と別れて中学校に残った。

充電を待ちながらふと見ると、玄関隅に「利用できます」と書かれた公衆電話があった。
非常時なので、SOSを押して電話をかけると無料でかけられるようだ。

誰も並んでいないので、ちょっと不思議だったが、
まずは夫の携帯にかけてみる。やっぱりつながらない。
とりあえず、夫の実家と、私の実家に二人とも無事だと伝える。
私が電話をしていると、他の人も気づいて後ろに並び始めたので、
必要なことだけ伝えて、電話を切る。
心配していたので、とりあえず無事と伝えられて良かった。

携帯の充電が終わり、アパートに戻るとみんな自宅に戻っていた。
中学校の公衆電話が使えたことを伝えて、私も自宅に戻る。

改めて部屋の中を確認する。
地震の時、台所からすごい音がしていたので、かなりめちゃくちゃを想像していたが、
食器棚も冷蔵庫も転倒防止対策をしていたので、何も倒れてない。

冷蔵庫の上にのせていた小物が横のワゴンの上に落ち、
そこにあった珈琲カップが一つとグラスが一つ割れていた。
被害は以上。

食器棚の中や上の吊り棚の中のものは、すべて滑り止めマットを敷いたり、
鍋の前には突っ張り棒つけていたので、
何一つ飛び出ていなかった。

今後の余震対策をしなければ。
リビングはテーブルやPCラックなど足に車が付いていて動きそうなものは
隅に寄せ、動かないように固定する。
冷蔵庫や、吊り棚など扉が開いてしまいそうなものは、
綺麗に剥がせるビニールテープを張り、揺れで開かないようにしておく。

片付け終わると、時間は朝9時。水は手に入ったが、食糧が心配だ。
私たち2人ならなんとかなるが、昨夜避難していた世帯分の食料となると
今後の避難生活を考えても、あるにこしたことはない。

念のため、歩いて行けるスーパーに偵察に行くことにした。
夫がいつ戻るかわからないし、未だに携帯もつながらないので、
家の玄関扉に、「スーパーに様子を見に行きます 9:30」とメモを張って家をでた。

スーパーに着くと、すでに長蛇の列。
お店が開くかどうかもわからないが、並ぶしかない。
10時前から並び始めた。天気はいいが、風が冷たく、寒い。

途中、買い物を終えた人からの情報で、お店の中には入れず、
お店の裏を開け、一部の商品を並べて売っているそうだ。
しかも購入数に制限があるらしい。一人5点まで。

持参していた水筒のお茶を時々飲みながら、青空駐車場でじっと待つ。
並んで、並んで、並んで、並んで・・・・・・・
商品の前に来たのは、並び始めてから6時間後の16時。

やっと順番。商品を見ると、必要なものはほとんど売り切れていた。

少し前の列に並んでいた同じアパートの奥さん達が、商品が少なく選べないと教えてくれた。
20人ほどの人で分けられるものなら数が多いものがいい。
缶詰5個あったって、どうしようもない。
小袋に小分けされたおかきのような菓子類と子供用のぼうろを合わせて5袋だけ。
6時間並んだ成果がこれだけかと悲しくなる。

隣接した別のスーパーの方も人がまだ並んでいる。
身体は冷え切り、足も疲れているが、チャンスがあるなら並んでみようと、
もうひとつのスーパーの列に並びなおす。
こちらもお店の入口に商品を並べて販売しているようだ。
しかし、購入制限がないのか、割とたっぷり買い物をしている。

「17時でお店は閉めますので、並んでいても購入できない場合があります」
とお店の人がアナウンスした。
おそらく、私の前には100人は並んでいる。今16時半。
まだまだ縮まらない列に、16時50分、諦めて家に帰ることにした。

普段当たり前のように商品がならび、買い物できることが夢のように思える。
商品がない。店が開かない。買い物できない。
災害がおきるとそういう状況になるのだということを思い知らされた。

アパートに近づくと、夫が自宅の窓から私の帰りを待っているのが見えた。
「買い物を届けてから帰るから~」と外から夫に声をかけて、
避難場所になっていたお家へ向かい、5袋のお菓子を届けた。

うちのアパートはプロパンガスだったため、
ガスがつくことがわかった奥さんたちが炊き出しを準備していた。

「ご主人には会った?まだ?早く帰って帰って!!!」
「ご主人に持って行って。奥さんの分も後で持って行くから!」と
温かい炊き込みご飯のおにぎりをもらい、自宅に戻った。

「ただいま」「おかえり」「おにぎりもらった」
お互い非日常過ぎて、逆に普通すぎる対面だ。

聞くと夫は10キロほど離れた職場から、みんなで歩いて帰ってきたそうだ。
帰り道、偶然開いていた個人経営のコンビニで食糧を少し買えたと、
カップラーメンを見せ、温かいおにぎりと一緒に食べた。

昨夜からほとんどまともなものを口にしていなかった。
炊き出しをしてくれた奥さん達の心配りがとてもありがたかった。

昨夜から今日一日、お互い話したいことはたくさんあるが、
未だ停電中。日没までに準備することが色々ある。ただ黙々とご飯を食べた。

その時はまだ、その日福島で起こった出来事をしるよしもなかった。




(2011年3月11日東日本大震災 「3・12 食糧確保」・・・・終)



  
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