3・15 福岡へ帰ろう その2
原発や放射能の情報を調べていると、色々な意見を目にします。
私は、この自分の小じんまりしたブログを書くのにも、
「こんなこと書いていいんだろうか」と
びびりまくって、何度も何度も消しては書き直しているのに、
実名で放射能の現状を訴え、行動する人達を見ていると、
どれだけすごい勇気なんだと、単純に驚くばかりです。

そして、ネットでの様々な耳触りな情報が事実とするならば、
自分たちの生活を守るために闘おうとしている人達に比べて、
買い物して浮かれている私のなんとお気楽なこと。

なるべく気をつけるようにしていたつもりだが、
気持ちのどこかで「これぐらいは大丈夫だろう」と思っている自分がいて、
「極悪人でも、人の子でしょう」と性善説を捨てきれない甘ちゃんの自分がいる。

今は、福島原発から距離が離れたことと
周りに危機感を持った人がいないことが、危機感が薄れてる理由と思う。

でも、もし極悪人が事実そのまま極悪人だったら、
最近読んだ漫画GANTZのように(短絡的な比喩ですみません)、
どっちを向いても極悪宇宙人ばかりで、
気づいた時には、すでに八方ふさがりで手遅れなんだろうか・・・

「もう私は自分の家族は自分で守るしかないと思っています」
という必死なコメントをどこかのブログで見た。

生きるため、家族を守るために闘わなければならないと
思う人がいるのが、少なくとも今の日本の現状だろう。

お気楽な私も、じわじわと多少危機感を覚え、
これはある意味、国との戦争なんだろうかと思えてきた。
いや、国じゃなくて、欲深電気星人達か・・・・


今日は、3月15日の続きからです。


********************************

 (3月15日 13時30分 長町地下駅にて)


13時に岩沼の自宅アパートを出た後、
知り合いの車で仙台まで行ける地下鉄まで夫と二人送り届けてもらった。
途中、まだ停電中の箇所がほとんどで、信号機はついておらず、
交差点は今にも事故が起こってもおかしくない危険な状態だった。

道もところどころ隆起したり、亀裂が入ったりして、
ゆっくり走行しないと危ない場所もあった。
そんな中、長町までたどり着き、お礼を言って知り合いと別れ、
地下鉄に向かった。

長町はスーパーなど一部営業しているようだった。
地下鉄のホームに立つと、周りの人たちはお風呂に入っていない私たちと比べて
「風呂に入れているのか?」と思うほど、予想以上に身綺麗で、
しかも地震があったと思えないほど、普通の風景だった。

まるで私たちだけが、地震にあったようだと思いながら、地下鉄に乗り込んだ。
友人たちからの情報で、各空港へのアクセスや空席状況から
秋田空港が一番可能性があるらしいとわかった。
秋田に直接行ければいいが、まずは山形を目指すのが一番確実だろう。

バス乗り場は、県庁前だとテレビで言っていたが、並んでいるのは間違いない。
だったら、仙台駅前にもバス停はあるはずなので、
駅前で降りて情報収集してから、県庁へ移動しようと、地下鉄を仙台駅で降りる。

( 14:00 雨 )

地下鉄を出て、地上に出ようとしたら「バス乗り場」の看板を発見。
階段を上り地上に出たら、目の前になにやら人の行列があった。
並んでいる人に聞くと、「山形行きのバスを待っている列だ」という。
列はおおよそ30人ほど。これは意外と早く乗れるかもしれないと最後尾に急いで並ぶ。
幸運なことに、待つこと25分、2台目のバスに乗れた。
私たちの後ろには、次のバスを待つ列がまだまだ続いていた。

通常山形への高速バスは、割とすぐに東北道にのるのだが地震の影響で道が使えず、
笹谷まで一般道を走り、その後高速にのるとのアナウンスがあった。
笹谷の山越えは、以前自分の車で走ってかなり厳しいことを知っていたので、
高速に乗れるだけでも助かった・・・と思った。

バスの外は、いつしか雨から雪に変わっていた。
空いている席は限られていたので、私と主人は隣同士には座れず、
主人は私の一つ斜め後ろの席に座った。
一方バスの中は、補助席まで使い、完全に満席状態。

それでも、地下鉄の中ののんびりした空気と違い、
少しでも早く遠くに離れたいという気持ちが伝わる、張りつめた静けさだった。

そして、私の隣の補助席に座った人が、韓国の人だった。
補助席の使い方がわからないようだったので、教えてあげたらそこから話が始まった。

大学生の彼は、旅行で初めて日本を訪れ、そして被災したらしい。
けれど地震後、どこへ行っても見ず知らずの日本人が親切にしてくれ、
今日も、何もわからない状態で、山形空港へ向かうバスに案内してもらい
無事にバスに乗れたという。

「僕の日本語おかしくないですか?」と繰り返し聞く彼は、
まだ日本語は勉強し始めたばかりだというけれど、ちゃんと通じる日本語だった。
これだけ話せれば、見知らぬ土地でもコミュニケーションがとれて
ここまで来れたのだろうと思われた。

「地震で怖い思いをしたけれど、日本人が冷静でそして親切で優しいということが
わかって、日本へはいい印象しか残らなかった」と何度も言った。

そしてそれから色々な質問タイムに突入。
「日本人はなぜ暴動がおきないのですか?」
「こんな時にスーパーにみんな並んでいるのはどうしてですか?」

最初は、地震のことについて話していたのが、だんだん盛り上がり、
「韓流スターは好きですか?」
「○○(なんとか)というグループをしっていますか?」
「韓国ドラマは見ますか?」

「最近なら、××っていうの見たよ」と言うと、
それが日本語のドラマ名だったらしく、
なかなか伝わらずなんとか説明しようとしていると
私たちの斜め前の女性がおもむろに振り返り、
「××△△」と韓国語で彼に説明した後、私に日本語で「××よね」と言った。

偶然にも彼女は山形在住の韓国の方だった。
私たちのやり取りがもどかしく、こらえきれず参加してきたようだ。
それから彼女も交え、韓国のドラマについてあれ見た、あれ見てないの
韓国ドラマ談義。周りはだれ一人喋らずしーんとした中、
私たちの声は、きっとバスの中のみんなに聞こえていたことだろう。

彼は地震以後、初めてこんなに笑えたと言っていた。
切羽詰まった状況で、いかに私たちがお気楽に話していたかがわかる。

そのうち彼が、前の彼女に山形空港へのアクセス方法を聞き始めた。
それもお互いにやや片言の日本語で。意味が通じなくて苦労している。
不思議に思って、「お互い韓国語で話せばわかりやすいんじゃないの?」と言うと
「あなたの前で韓国語で話すとあなたにはわからないから、悪いと思って・・・」だって 笑
「私は山形空港へは行かないので、韓国語でどうぞ」というと韓国語でお互い話し始めた。
律義と言うか、おもしろい。

そうこうしているうちに、山形のバスセンターが近づいてきた。
私は九州へ帰るところだと言い、彼はソウルへ帰るという。
お互い無事に帰れますようにと話し、「今日は一人でしたか?」と聞くので、
「夫も一緒よ。」と言うと、私の横はかなり年配の男性だったので、
不思議そうに見るので、「後ろの席」と言うと、夫が「どうも」と言い、
すると彼は夫に「奥さんと勝手に話してすみません!!!」と猛烈に謝罪。

その声がやたらと大きくて、慌てて周りの席の人達にも
「騒がしくしてすみませんでした」と謝っている。
ますますおもしろい。

補助席の彼は先に出るので、「では元気で!」と別れた。
避難しようとしている途中なのに、楽しい思い出になってしまった。
不思議な縁もあるものだ。

さあ、私たちも秋田空港目指して、これからどこまで移動できるか。
バスを降りてからが勝負だ。


(15:40 山交BC到着)



(2011年3月11日東日本大震災 「3・15 福岡へ帰ろう その2」・・・・終)





  
コメント
>hirominさん
こんにちは。
地震後、家にいる間はすることがなかったので、
スケジュール帳に毎日の出来事を書き留めていたんです。後で役立つかなぁと思って。
そのスケジュール帳が大きいので、帰省するときは持っていけなかったから、
携帯のメモに時間と行動内容をメモってたので、大まかな動きはそれをみて書いてます。
それでも記憶が抜けてるところとかいっぱいあるんですけど・・・・
ブログ書いてるとちょっとずつ思いだしてきますね。

バスの中では、夫が後ろで私たちの変なやり取りを聞いて、
時々笑ってるのがわかっていたので、「あ、ウケてるな」と思ってました 笑

そして、ボランティアいつもお疲れ様です。
がれきの撤去。大きな問題ですね。
それができないとスタートもできませんよね。早く。早く。
スタート地点に立てるように、物事を進めて欲しいですね。

辛い現実はたくさんありますが、物資の支援や、
現地ボランティアとして活動されている様子を聞くと、
まだまだ日本人も大丈夫と、ほっとして前向きになれます。
hirominさんから現地の様子が聞けて、ありがたいです。

ネットを見るとネガティブな情報ばかりが目にとまり、
「日本は終わりか・・・」という気分に陥りそうになるので、
そんな困難な中でも、できることから頑張ろうと行動している
ポジティブな現実志向の方に、これからもっと目を向けていかなくちゃ!と
つい先日考えていたところでした。

「明けない夜はない」ですね!
---------- RaRa。. URL│2011/08/07. 09:40 [ 編集 ] -----

おばんです。いつも当時の様子をちゃんと覚えてらして凄いなって感心しながら・・そしてRaRaさんはこのように過ごされてたんだなって・・思いながら読ませて頂いてます。このバスの中の出会い素敵。きっとそんな状況だからこそ・・余計にですよね。旦那様どんな気持ちでやりとり聞いてらしたのかしら?(笑)本当にどこまで気を付けて生活していいのか分からない現実・・でもあまり気にしてる人はいないなって思います。私も庭で育てた野菜も捨てることなど出来ないし 良く洗って食べちゃってますし この暑さではマスクして外にも出れないですし・・神経質になりすぎても暮らせないですもんね。でも気にならない訳でもなく・・難しいですね。でも変な意味でなく転勤されて良かったですよ。気分も少しは・・変わりますもんね。そうです。そして美容院や買い物で あげポヨにするのは(ちょっと若者ぶってみた)(プッ)非常に大切なことです。


話はとびますが、今日は初めて南三陸・気仙沼まで行って現状をこの目で見て来ました。5か月経ってる訳ですから
あれでも片付いてるんでしょうけど・・絶句でした。胸が苦しいくらい言葉になりませんでした。津波のバカヤローって誰かが書いた落書き?もあったけど・・今日も私が所属してるボランティアには、はるばる大阪から何時間もかけ沢山の物資を持って駆け付けて下さいました。この前は千葉から・・北海道も小樽の方々がいつも定期的に大量物資を送って下さり・・県外の方の方が一生懸命で有難い限りです。息の長い支援が必要ですからね・・・私も「させて頂く精神」で精進してまいります(笑)v-10
---------- hiromin. URL│2011/08/06. 23:08 [ 編集 ] -----
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