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3・16 秋田から福岡へ 
3月15日。
仙台から山形へ向かうバスの中で、偶然隣り合わせた韓国の大学生。
彼が、日本のことについて私に質問したことのひとつが、

「こんな地震や、放射能の状態になって日本は復興できると思いますか?」と。

私は、無意識のうちにこんな返事をした。

「できると思う。戦争をし原爆を受けても、それを乗り越え、これだけの国になったんだもの」

ほとんど即答に近かった。なんの根拠もないのに、
日本人の力を信じている自分に、答えた後に気付いた。

その時は放射能というものについて、甘く考えていたからとも言える。
地震や津波の被害からは、時間がかかっても、
またきっと街がよみがえることができるだろうと想像できた。

今は、放射能がまき散らされる前の安心できる日本に戻るには、
予想以上に困難で、時間もかかるだろうと感じている。

そして、今日は8月9日。長崎へ原爆が落とされた日だ。
長崎に祈り、東北で亡くなった命に祈り、
そして今ある命のために、明るい日本の未来を祈りたい。


今日は、3月16日朝からのできごとです。

********************************

 ( 3月16日 早朝5時 酒田駅前ホテルにて )


どのくらい眠れたかわからないが、余震もなく穏やかな室内に
目を開けた時、安心感があった。

5時に目覚め、出発準備を始める。
今日は予定通り行けば、午後には福岡に帰れる。

荷物を詰めて、準備を終え、朝食開始時間には少し早いが、
前日にホテルの方から了承を得ていたので、朝食を食べに行く。

バイキング形式なので、ここ数日食に飢えていた私たちには
どれもこれも食べたくてしかたがない。
けれど、6時41分の電車なので、6時半にはホテルを出たい。
食べる時間は多くて15分。時間がないので、私は食べれる分だけ少量選ぶ。

夫は我慢しきれなかったのか、あきらかに15分では食べれない量を取ってきている。
案の定、私が先に食事が終わり、ホテルのチェックアウトを済ませ、
移動用の飲み物などを買って、準備し、
もう急いで行かないと間に合わないという頃に、食事を終えて走ってきた。

駅まで駆け足で向かう。6時38分。セーフ。定刻通り秋田行きの電車は発車した。
電車は、日本海側を北上する。車窓からはのどかな風景が続く。
最初車内はまばらだったが、途中から通学の学生たちが乗車し、賑やかになる。

いつもの日常。いつもの時間。いつもの顔。
私たちのような登山ルックでいかにも避難中という雰囲気の人は他にいない。
数日前の私たちに起きた出来事が夢の中のことのように感じる。

乗車して1時間50分。8時32分。予定通り秋田駅に到着。
空港へのリムジンバスの時刻がわからないので、
急いでバス停を探し、これまた駆け足。

8時40分。バス停到着。もうすぐバスが来る予定なので、
羽田行きの飛行機、10時45分発に間に合いそうだ。
秋田駅から秋田空港まで通常35分ほどかかる。いずれにせよ、時間に余裕がある。

と、思っていると、バスが来ない。
遅れているのだ。しばらく待ってようやくバスが来たが、
発車してしばらくすると渋滞につかまった。
どうやら、途中片側1車線の道で、ガソリンスタンドがあり、
そこに並ぶ車の列で車が通れず、身動きできなくなっていた。

バスの中で、これは間に合うのか?とあせり始める。
察したようにバスの運転手さんが、
「空港には渋滞していることを連絡してますので、安心してください。」とアナウンス。
しかし、飛行機が待ってくれるとは限らないのでは?と疑いの気持ち。

市街地を外れると、車線が多くなり、スムーズに走り始める。
けれど、行けども行けども空港らしき雰囲気が見当たらない。
知らない場所へ向かうとき、帰りの道は早く感じるのに、
行きの道はどこまで行くのかとやたら時間が長く感じるものだ。

10時過ぎ。秋田空港に到着。
急いでバスを降り、チェックインカウンターへ向かう。
空港内は、人がごった返している。外国人も多い。
手荷物と預かり荷物を分けないといけないので、空いている場所を探して、
必要なものを小さなバックに詰め替える。

人の列をみて、チェックインに時間がかかりそうだとあせっていると、
係の人が、クレジット払いの人は機械でできるのでと誘導してくれる。
チケットの予約を取ったとき、自分のカード番号を叔母に伝えておいて良かったと安堵。
無事にチェックインでき、搭乗口に向かう。

すでに搭乗が始まっていたので、お手洗いを急いで済ませて、列に並ぶ。
ここで、また声をかけられる。日本人の女性とインド系の女性。
どうやらインド系の女性が一人で私たちと同じ羽田行きの飛行機に乗るのだが、
日本語があまり喋れず、一緒に搭乗してほしいと頼まれた。
日本人の女性は見送りに来ただけのようだった。

わかりました。と伝えて、インド系の女性と一緒に並ぶ。
セキュリティチェックがあるので、
飲み物やPCなどを持っていないかと彼女に聞いて、
どちらも持っているというので、バックから出して準備するように(夫が)伝える。

順番がせまってきていたので、彼女も慌てている。
大丈夫だからと、とりあえず、一緒に行き、
セキュリティチェックを終えて、彼女が荷物を片付けるまで手伝う。

搭乗は優先搭乗で、私たちは後列、彼女は前列だったので、私たちが先で一緒にいけない。
周りを探すと、一人の日本人女性が壁際でチケットを手に立っている。
きっと前方の席なんだろうと予想がついたので、声をかける。
聞くと案の定、インド系の女性と席が近かった。

「この(インド系)女性が、日本語が得意ではないようなので、一緒に搭乗してもらえますか?」

と言うと、快く一緒にいてくれることになった。
(日本人の)彼女が一緒に連れてってくれるから、とインド系の彼女に伝えて別れた。

つくづく、私はよく声をかけられる。
国内でもそうなのだが、ソウルに行ったときでさえ、何度道を尋ねられたかしれない。
話しかけてオーラ、でも発しているのだろうかと自分で笑える。
そして、その現場を度々目撃する夫もいつもウケている。

そして、10時45分。秋田から羽田へ向けて飛行機は飛び立った。
まずは羽田へ向かうという今日の目的が一つ果たせた。



(2011年3月11日東日本大震災 「3・16 秋田から福岡へ その1」・・・終わり)




  
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