脳トレ
ある程度年をとったら、
その人の生きてきた経験や
性格、価値観、人生みたいなものが、
もろ顔に出てくるものだな、と
ある時から思うようになった。

年配の方で、卑屈な人や
愚痴ばかりの人は
そう言う顔に見えるし、
見栄や自己主張の強い人は
やはりそういう顔をしている気がする。

一方で、心穏やかな人は、
そういう顔をしている。

それは現在進行形の事情によるもの
というよりは、
顔に染み付いている印象を受けるので、
どれだけ苦労をしてきたか、
という程度に関係なく、
物事をどう捉えて行動する人なのかが、
顔に出てくるんじゃないだろうかと、
勝手に自論に至っている。


話は変わり、私の母方の祖母。
軽い認知症で施設にいる。

元々気が強く自分が中心でいたい性格。
いい面では、面倒見がよく
リーダーシップを発揮し
頼り甲斐があり、
何かと世話を焼いてくれた。

悪い面では、他人の意見を聞かず、
自分以外の人を軽く見たり、
悪口や駄目出し、批難をして、
周りとの摩擦が絶えない。

最近その祖母から電話があった。
と言っても、耳が聞こえないので、
聞こえている振りをしながら、
一方的に自分の言いたいことを
私に言い続けた。

誰も自分に会いに来なくなり、
不満だと言うこと。
お前たちは親(祖母)不孝者だと、
自覚してしっかり考えろと。
感情的に怒っているとかではなく、
恨んでる的な声のトーンで
切々と文句を言う。

施設に入る前は私の母が、
一人暮らしの自宅に頻繁に通っていたが、
母が体調を悪くし、今は父が病気のため
看病もあり、会いに行く頻度が減った。

孫達で割と近くにいる者達は、
それぞれに事情を抱えながらも、
なんとか時間を作り、月に1、2度は
顔を出している。

母の代わりに妹である伯母が
一番の功労者で電車で
1時間ほどの距離を
週に1、2回様子を見に通っている。

実質的に距離が遠い私や関東の親戚は、
どうしても行く回数が少ない。
電話してもいつからか、
電話の取り方がわからなくなり、
耳も聞こえず、
こちらから電話がかけられなくなった。

だから今では伯母が側にいる時に
伯母の電話からかけてくるように
なったのだ。

私がなかなか会いに行けないことは
申し訳ないなと思っている。

だが、伯母や母や近くの孫達は
いつも気にかけ、できるだけ
会いに行っている。
それすら、感謝の気持ちもなく、
みんなが会いに来ないとののしる。
なんとも嫌な気持ちになる。

認知症のせいだと、モヤモヤした
気持ちを沈めようと切り替える。

またまた話は変わり、
すでに他界した父方の祖母。

同じく晩年は痴呆症で、
私が施設に会いに行っても、
「どちらさんですか?」と、
私のことはわからなくなっていた。

わからなくてもいいやと思いながら、
動く時には手を貸したり、
車椅子を押したりした。

すると祖母は、にこやかに笑いながら、
「こちらさんは誰かわからないが、
親切にしてくれたよ。」
と、施設のスタッフさんに言い、
私に「ありがとう」と言った。

その祖母は、祖父が危篤で
すでに意識はなく、亡くなる直前に
「私はあなたと結婚して幸せでした」
と、泣きながら手を握った。

祖父も祖母も、あと数年で
100歳になろうかという年齢だった。

不満が絶えない母方の祖母は
昔の朗らかさが顔から薄れつつある。
だから、祖母を思う時、
頼り甲斐のあった昔の顔を思い出す。

父方の祖母を思い出す時、
私のことはわからなかったが、
ありがとうと言った笑顔が浮かぶ。

認知症や痴呆症になった時、
元々の性格がどの程度、
影響を及ぼすのかわからない。

努力してかなわないことなのかも
しれないが、今ないことへの、
愚痴や不満を言うことを
脳に記憶させるのではなく、
今あることへの感謝や
幸せな気分を感じることを
しっかり脳にトレーニングして
おきたいと思うのである。

はてさて、42歳の私は
今どんな顔をしているのだろうと、
鏡を見てチェックする日々である。



  
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